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カタツムリが紡ぐ関係

  • 2021/06/24

雨上がりのカタツムリを観察するすみれぐみさんのお友達。

3歳のクラスからだんだん、大人との養護関係からお友達へと人間関係が広がってくる、という発達の課題がありました。

このあたりから子どもたちはお友達同士の関係の中で思い通りにならないシーンもチラホラ出てきます。これまでも大人に反抗期などはあったんですが、今度は反抗して自分を確認するための相手ではなくお友達との人間関係が浮かび上がってくる。

ですので、それぞれの子はどうしたってお友達にイロイロなバージョンの働きかけを試したり失敗したりということになり、またそういうのを葛藤体験と言ったりしますが、要はここで自分の気持ちをコントロールできるようになる芽を見出す、みたいな課題になります。

だからけっこう、子どもたちにとってはこの時期はカベかもしれませんよね。これまでは人間関係と言ったら大人との依存関係が主なもので、大人が要求を受け入れてくれなかったら怒ったり泣きわめいてOKだったのが、そうはいかなくなる、ということなので。

自分の気持ちをコントロールするなんて並みの大人でもそうそうできることではないです。
子どもたちが自分の気持ちに向き合うはじめてのプロセスとなります。

なので子どもたちの中には異様なこだわりを見せたり、何が何でも自分の要求を通そうとしたり、力づくの反応を示すような子も出てくるかもしれません。

さて保育者の方は、少なくとも、動き始めた子どもたち同士のお友達関係をキャンセルすることなく、大人への依存からお友達同士の活動にエネルギーが向くようにしたい、ということになります。

難しいことではないです、カタツムリのツノを触ってビヨーンと目が引っ込んだ!、みたいな普通の体験を禁止しさえしなければいいということですから。




ビジネスの芽

  • 2021/06/23

年中さんで閉店しているからと予約の依頼ができるとは・・・

さくらぐみのお友達はケーキ屋さんを営業中。今、閉店しているので予約を頼み、新作ケーキを仕掛ける、ごっこ遊びは役割になりきって自ら判断してアドリブしないとごっこにならないので、それそのものが主体性活動になるのと、一種のペルソナ作りの意味も。

最初からお母さん、お父さん、お店屋さん、お客さんなど大人の社会的役割を前提にしているので、相手にその場その場で伝えるべきは伝えないといけない。積み木とごっこ遊びは発展が自由で一般的に思われているよりもその世界は奥が深いみたいです。

なので例えば誰かが誰かに指示をするまで動いてはいけない指示待ちごっことかは存在しません。

ところで新作を仕掛けたり、実社会では何か新しい事業をやるスタートアップ企業は9割以上失敗するそうです。10やって1くらいしか成功しない確率なので、自分がこれはうまくいくだろう、と思うことと実際は違うことがそれだけ多い、ということでもあります。

だから互いに思っていることが違う者同士(実際にはこんなことばかりですよね)、または異なる利害関係の間に立って仲介するというのは大変なのですが、ごっこ遊びをこうやって見ていると、そういう大人になってからの活動の芽が見えますよね。

ごっこ遊びは自分の意としていない外から来る動きにも対応しなくちゃいけない、「今閉店しているので予約してくださいね」と応答すること自体が楽しい活動でもあります。
これが逆に、自分がこの場を仕切っているんだぞ、自分は偉いんだぞ、私の言うことを聞け!と少しでも上から目線で構えたらお友達も面白くないでしょう、これも実社会と同じですよね。
ということはこの子は知らず知らずのうちに将来のマネージャーさんになる練習をしているのかもしれない。

未来は店舗の責任者とか、ホテルの支配人とか、候補はいくらでもあるでしょう。




きょうだい競合

  • 2021/06/22
ひまわりぐみのお友達は年長さんですが、種から育てているためもどかしくツルが伸びるところを観察中です。

きょうだい関係の中で、年上の子は年下の弟や妹が生まれると、それまで自分一人に集まっていた周囲の大人の注目や関心が弟や妹に移ることを経験します。
弟妹は赤ちゃんなのでこれは当たり前で、このことにいい悪いはない。

それを年上のお姉ちゃんやお兄ちゃんはどう受け止めるかですね。「きょうだい競合」のことですが、この初期の受け止め方がその子の性格的なもののキーノートをカタチづくっていくと見ます。

受け止め方はその子その子それぞれでいろんなバラエティがあると思いますが、傾向としては(あくまで一般的な傾向)、注目を一身に集めていた立場から一転するので(失われた王座、という言い方もしますね)、よりかわいらしくふるまって注目を取り戻さなきゃ、とか、ガマンしてお世話しなきゃ、とか、周囲の期待に沿ったいい子にならなきゃ、とか、そこから常にガマン強くて自律的で周囲の声をよく聞いて優秀で、といい方向へエネルギーが発揮されるとよい立場を確保できたりするようになる、ということですね。あくまで一例です、

このエネルギーがいきすぎて、自分の周囲の状況が悪い方向にいきそうだと過度に心配し過ぎたり、周囲の期待に合わせすぎることで疲れてしまったり、内心どこか一人ぼっち感を秘めてストレスをため込んだり、ということですね。あくまで一例です。

年下の子にも、それのキーノートがあります。いつも年上の子を仰ぎ見て越えなければならない壁を見る、追わなければならない先行者がいる、ことからいろんな性格特性が育っていくということですね。

きょうだい競合の話は長くなるのでまた次回に。








トマトファンタジー

  • 2021/06/21

ももぐみさんはトマトなど形になっていく野菜の成長を楽しんでいます。

今日が一年で昼が最も長い夏至ですね。日本はちょうど梅雨にあたりますが、北欧の国などは一日中昼で夜がない日なので祭りがあったり、昔から言い伝えられている物語があったり。

子どもたちは自分と世界がまだはっきり未分化のところがあるので、不思議な自然現象は、昔から妖精だったり大きな男が出てきたりファンタジー物語になって子どもたちに説明されます。
子どもたちは直面するなぜ?どうして?の疑問を物語で理解しますが、年齢が上がるにつれて、その物語を土台にしてより科学的な思考に発展します。

地球が二十五度くらい傾いている、太陽の周りをまわっているので、四季があり、昼が一番長い日、夜が一番長い日がある、こうした理解を小学校とか中学校で理科の授業などで聞いてもそもそも興味関心がない、どちらかというと面倒くさい、何か難しい、と感じてしまうとしたら、ひとつは幼少期のこうした物語を通じての「わかった」体験が少ないということがあるのかも。

サンタクロースの物語も単なるファンタジー以上の意味がある、という話はいろんな先生がしてますが、絵本の世界もある意味、それの本当の価値よりも低く見られがちだなと思います。
学校の成績はすごくみんなが一喜一憂するところなんですけど、その土台となると見えづらい、測定しにくい、ということがあるんだろうとも思います。

ももぐみさんのお友達の「なんかチクチクする」「なんかトマトの匂いがする」瞬間からトマトさんの物語がスタートアップします、その意味をその子なりにつかもうとするでしょう、もうそれだけでアンテナが立っていろんなことをサーチし始めたということになると思います。

ブルーソファ

  • 2021/06/19

出ました、たんぽぽぐみさんの大きなブルーソファ。

ゼロ歳児クラスではゼロ歳児なので寄りかかれるもの、包まれた感じがするもの、隠れられるもの、をお部屋に用意して、また先日出たピラミッドや写真のように触れるもの、開けられるものなど探索ができるようなもの両方を配置しています。

このお部屋の環境と育児担当制という仕組みの部分がたんぽぽぐみ、ちゅうりっぷぐみの保育では大きい部分です。そのうえで保育士の動きやお友達への親しみやすさなどを発揮する感じです。

何もないお部屋で、大人みんなが子ども達みんなを見ている、という状態は、子どもたちも大人も不思議と騒然となってきます。これは本当に昔からそうです。実際にゼロ歳児保育は数十年前はそういうものだった、という方もいます。

どのクラスでもそうなんですが、保育士さんの特殊なパワフルさ、特殊なフルマルチタスク能力、特殊な喝!、子どもたちへの特殊な気合入れ、そういうものに依存した保育というのは、大人にとっても子どもたちにとっても負担が大きく継続が難しいと思います。

お部屋に何を置いて、とか、担当の範囲と日課の仕組み作りなどはクラスの保育士さんのモノサシで、子どもたちにはそのモノサシがはっきり見えた方が、子どもたち自身の身の周りや自分の生活の見通しなどを具体的に把握して安定するために必要なこととなっています。


いないいないばあから

  • 2021/06/18

たんぽぽぐみのお友達はいないないばあで笑顔。

キングコングの西野さんのラジオで、絵本「いないいないばあ」は発売から50年間、今に至るまで毎年20万部売れているそうです。

「いないいないばあ」から来るメッセージ「この先はハッピーエンドですよ」を子どもたちは繰り返し受け止めて、その先が見たい!が膨らんで、そういうことが、この先を見てみよう、この先はどうなっているかな、につながることになるんじゃないかなー

昔、日本に来たイギリス人が、日本人のお母さんが赤ちゃんをおんぶして市場で買い物をしてて、赤ちゃんが泣かずに周りの魚を売っている人、走り回っている人、座って作業をしている人などをキョロキョロ観察している姿にビックリした、ということがありました。

「赤ちゃんは周りの大人を観察してるじゃないか!」ということが新鮮な驚きだったそうです。

ハッピーエンドの合図って子どもたちはその文脈にすっと引き込まれて静かになりますよね。これがちょっと長い物語でも、バッドエンドだと不思議と子どもたちの落ち着きがなくなるように感じています。

幼児になっても大人になっても同じ感じがします。


梅ジュース

  • 2021/06/17

さくらぐみのお友達は梅を使って梅ジュースにしました。子どもたちは本当の梅を間近に漬けて梅のエキスが出てくるところを見ました。

毎年、野菜の育ちを見せようと思ったら、子どもたちは「あ、ダンゴムシ」「あ、チョウチョ」とどちからかというと虫に興味を示すことが多いです。

ハチもアリも花の蜜など甘いものに寄ってくるし、人間もカロリーを求めて甘い物や油の多い食べ物が大好きです。

子どもたちが甘くて脂肪の多いスナック菓子やファーストフードが大好きなのは育ち盛りでむしろ自然な姿だろうと思います。

ただ主食や副菜を食べずにチョコレートや甘いスポーツ飲料などでお腹いっぱいになった、となると、大人は必要な栄養素が足りないと朝昼晩の食事を好き嫌いなく食べてほしい。

子どもに野菜を食べさせようとドレッシングをたくさんかけて結局野菜より砂糖と油の多いドレッシングを食べているようなケースもあります。

野菜が嫌いな子どもはホント多いですよね。

これを保育園の子ども集団であるクラスはどう考えるかですね。食べ物の好き嫌いをどんなふうに改善するかは永遠のテーマになっています。

そんなとき子どもにやかましく言ってストレスを与えながら嫌いなものや食べたくないものを口に運んでもらう、というようなことはしません。

私は子どもたちの食べ物の偏食や好き嫌いをどうにかしたいということなら、その子が食べるときのシーンだけを切り取ってその子に言ってきかせるだけではムズカシイように思います。

このさくらぐみの梅ジュース活動みたいに、あえて梅の実という植物にクローズアップしてみる、それがカタチを変えて自分の口に入る飲み物となる、そんな体験が一種の食わず嫌いというか、野菜に対する拒否反応というか、野菜さんに対する見方を少しずつ変えていくんだろうと思います。

食べ物の好き嫌いはその子の生活のトータルな一部分なんだろうと思いました。








マクガバンレポート

  • 2021/06/16

昨日園見学に来られた方が岩崎保育園の給食のことをご存知でした。

急に飛びますが、大西洋の北の方、グリーンランドに住むイヌイット(先住民)がアザラシの肉など肉100%の生活をしているのに、脳や心臓などの病気がヨーロッパ人に比べて極端に低いことの調査が行われました。

するとヨーロッパ人の食べる牛豚などの肉とアザラシの肉は同じ動物性の油でも質が違うことがわかりました。

アザラシや魚といった肉の脂肪は血液をサラサラにすることがわかりました。動物性の脂肪と植物性の脂肪と簡単に分けられないことがわかりました。

さらに進んで魚の肉についている脂肪はアレルギー疾患などにも効果がある、といったたくさんの調査結果が重ねられました。

ネットでn-3不飽和脂肪酸というのがそれでたくさん記事がヒットします。

当時はアメリカで生活習慣病の予防などの観点から国をあげて「マクガバンレポート」というものが議会で発表されました。そこには昭和30年代くらいの日本の家庭の食事が理想的だ、と指摘されました。ご飯に焼き魚や煮魚、イモや野菜を煮たりしたもの、といった組み合わせですね。

給食のことはまた触れていきますが、食事に関していえば、リラックスしてお友達と会話など楽しみながら食事してほしいと思います。

写真は上からサバの梅煮、それと豆腐ハンバーグ、レンコンのすり身揚げ、です。


忘れるわけではない

  • 2021/06/15

すみれぐみさんのお友達はお花のタネを植えて水やりにチャレンジしてます。

水やりをしてお花の芽が出て数カ月後にはお花が咲くでしょう、きれいなお花としてすみれ組のみんなに顔を見せてくれますし、野菜だったらおいしく収穫されるでしょう。

子どもたちの発達の順番として、何しても具体的なことから抽象的なことへ、という方向があります。
具体的な個物で遊びながら形・量・数を体験して算数学習に進む順番、具体的な先生やお友達との会話を通じて話し言葉を体験して文字や国語学習に進む順番、とあります。

算数や国語だけではなくて、子どもたちの発達としてはすべて同じ段階を進む、と見ます。

子どもたちには小さな体験でも大人になると思い出せないだけで、何らかの枠組み・メッセージはその人の中でずっと息づいている、と見ます。
もしこれがそうでないなら、教育・保育要領も学習指導要領も全面的に書き直さないといけないことになってしまいます。

今回のすみれぐみのお友達がタネを土に埋めて水やりのお世話をしてお花を楽しむ、という体験から何に進むでしょうか。それは子どもたちそれぞれによって違いが出てくるのだと思いますが、他のいろんな体験も折り重なって、「少しお世話をするとリターンがある」という思考につながるかもしれません。
とすれば、対人関係の場面でも受け身ではなく自分から人間関係を作っていく姿勢に転化するかもしれない。

冬になればお花は枯れてなくなるでしょう、その体験から、「今ここにあるものは当たり前にあるものではない」という思考につながるかもしれません。もちろんいきなりこんな思考にすっ飛んでいくことはないと思いますが、すると大人になって目の前の友達とか親とか社会的に接触する人たちへの見方が変わってくるかもしれません。

ほんの一例だけですけど、これを「ちょっとしたきっかけで対人関係は大きく変わるんですよ」「今ここにあるもの、目の前にいる人は当たり前にいる人ではないんですよ」と、いろんな体験を飛ばして言葉だけで教え込もうとしても、頭だけで理解しようとしても難しい、と考えます。

だから結局、難しいことはなく、子どもたちにいろんな体験を提供しよう、ということに尽きると思います。




アタッチメント

  • 2021/06/14

たんぽぽぐみさんではつかまり立ち、つたい歩きのお友達が増えてますます活発になりそうです。

たんぽぽぐみさんのクラスへ入園すると、なるべく特定の大人が食事や排せつの生活介助をします。
〇〇ちゃんにはなるべく~先生と特定して決めています。
~先生は休みの日があったりしますし、また遊びの時間はもっと広く大人とお友達に関わりますので、誰か特定の大人が遊びの相手と決まってはおりません。

これは愛着行動(アタッチメント)の考えから教育・保育要領に育児担当制として平成18年か、確かそのあたりから明記されました。

愛着行動というのは、ゼロ歳児は親とか、特定の大人に全面的に依存して、その特定との人との関りでその人を安全基地として、他の人に親しみを広げたり、探索活動をする、というものです。

愛着行動のことは古くから言われてましたが、それが育児担当制として教育・保育要領に明記されるまではけっこう時間がかかりました。

なるべく特定の大人が食事・排泄の介助に関わろうということで、たんぽぽぐみの保育者の一日は子どもたちの日課・時間帯において、どの大人がどの子の介助をする、とはっきり決めています。

それらの仕組みはクラスや園で共有していて、その仕組みは毎日繰り返すことでゼロ歳児にでも基本わかる、理解できていくととらえます。

小さなことでも習慣になれば、それ自体自分でできることがひとつ増えたことになります。

愛着行動についてはよく知られていますが、ゼロ歳児のような時期に、特定の大人を安全基地として全面的に依存する体験を積み重ねて、他の誰か、外界の遊びと自分の行動を広げていくことができる、というものですが、両親がいないような子どもであっても、里親だったり、施設の先生がアタッチメントの対象として成長する軌跡を辿ります。

周囲も手がつけられないような人が何か悪いことをしでかして警察のお世話になったようなときに、たまたまそこの刑事さんが親身になってくれたことから、そこから生き方が全く変わって以後、普通に暮らすようになった、というケースもアタッチメントの拡大版かもしれません。

牛や馬は生まれてすぐ立ち上がって歩き出し、人間の子どもは生まれてすぐ全面的に誰か大人に依存して養育される、これはみんな「一人になってはいけませんよ」というメッセージだろうと思います。


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