ゴーヤー収穫から
- 2021/07/06
子どもたちを具体的に援助することについて、私たちの心身を守ることについても同じですが、自分で何かに取り組むときは砂時計みたいに、1回でひとつのことをし続けよう、とよく言われます。
自分のやること出来ることには限りがあって、自分の出来ることやれる範囲でし続けていく、それ以上のことしようとしたり、そもそもやる手前の段階で不安などで考え込んでしまったりすると、私たちは意外ともろくパンクしてしまう。
このことは、菜園での野菜を育てることにについては、種を植えて、まだ芽が出ない、ああ芽が出た、すくすく育っている、虫に食われてる、花が咲いた、チョウチョが来た、実がなった、鳥が食べた、残った実を食べた、おいしい、という一連のプロセスは途中で何かを飛ばしていきなり花が咲くのではないし、ある程度の時間をかけてプロセスを楽しもう、ましてや、あれこれマイナスのことを思い悩んで考えて種を植えない、という選択肢はないよ、という意味でもあります。
さてこれらのことは私たちの仕事のことでもあてはまるし、子どもたちのコミュニケーションについてもあてはまると思います。
例えばある子がつっかりもっかかり、お友達に何かを伝えようとする、私たちが何かの仕事をする、それは一定の速度でしか進まないのでそれしかやりようがない。途中でいっぺんにたくさんのことをしようとして無理をしたり、逆に何もしないのは両方とも失敗するリスクが大きいでしょう、そのときはうまくいっても続かないでしょう、という意味でもあります。
このあたりは、研修とか、どちらかというとビジネス競争の中で言われることの方が多いと思います。焦らない焦らない、子どもたちの発達も一直線ではなく、行きつ戻りつ、らせん階段を昇るような軌跡を辿ります。
もしも、子育てや保育においてそうした焦りが仮に出てくるとしたら、当事者の両肩にガチガチの重荷があるのかもしれません。それは何でしょう?家族や組織の上司からの期待という名の圧迫なのでしょうか?世間の見えない圧力でしょうか?それとも他の原因があるのでしょうか?
このことは、少なくとも当事者はある程度見極めようという姿勢は必要だと思います。