七夕まつりが向かう先
- 2021/07/08
それぞれのクラスで七夕のお祭りです。
七夕など、年間通してそれぞれの節句には天災とか疫病とか、厄を払って子どもたちの健康息災を願うお祭りの意味があります。
現代でも、天災、疫病、そのままタイムリーな話題です。
園としては、大人の方から健康や成長を子どもたちの方向に向かって願ってますよ、というプラスのメッセージを表現しよう、という意味で、クラスで昔から続く節句を見える化しよう、という趣旨でもあります。
私は、今回の七夕でも、クリスマスでもそうですが、メッセージの方向を大人から子どもたちの方へ、お祭り活動することに意味を見出しています。
これらのお祭りがショー化して大人の方があまり疲弊消耗するようなお祭りにはしないと考えてまして、それだと長く継続することが困難になるからです。
それから、メッセージの方向が大人から子どもたちへ向かうように、大人から大人の方へだけにならないようなお祭り、クラス活動をねらいとしています。
これには他にも動機があり、このような季節の節目を祭るクラスの活動となると、お星さまと子どもたちとの手紙のやり取りより云々よりも、作り物をきれいに作ることが目的になったり、子どもたちが何か歌わせたり作らせたりしてそれを大人側に配信することのみが目的になることを避けようという思いでもあります。
これは、形として子どもたちに何かをさせる、歌わせたり作らせたり、大掛かりな舞台を仕掛けて躍らせたり、それ自体はいいのですが、大人は満足してて実は子どもたちには伝わっていないとか、子どもたちにはわかっていないとか、そうならないためには、どうしようか、しかもその中で持続可能なものは何かをずっと10年以上関係者は問われています。
ただ思いが思いとして先走りするだけでは見ている側はわかりにくいと思うので、それを説明する記事をアップしていこうと思います。
子どもたちの思い出作りとなるお星さまとのコミュニケーション、子どもたちへの勇気づけとなる短冊、ド直球でそこをねらう七夕まつり、だからこそ正解のない七夕まつり、やっている方も見ている方も子どもたちも楽しい七夕などの節句、を目指そうとしています。
コロナウイルスのことで、このようなことを振り返るいい機会になりました。