コーナーの意味
- 2021/06/01
たんぽぽぐみのお友達はそれぞれのコーナー遊びです。
コーナーはお部屋の中のそれぞれの遊び・活動のエリアですが、大人から見て全体が見えなくならないようなタナを置いてコーナーごとの仕切りにしています。
たんぽぽぐみから年長のひまわりぐみまでお部屋の中は各コーナーを子どもたちへの動線などを考えて配置しています。
なぜコーナーを配置しているのかというと、理由は3つあります。
ひとつは、子どもたちを遊びや活動へ誘うため、です。ここでいう遊びや活動は子どもたちが主体的に行う活動です。主体性を発揮しやすくなるようにコーナーを設置しています。
主体性の発揮というのは、子どもがやりたい放題やって大人は放置している、ということではなく、恐れを知らずに何があってもただ自分のしたいことをがむしゃらに進めるタフガイになる、ということでもなく、イメージとしては子どもから自分から注意して動く、ということを期待しています。
自己肯定感=所属のために大切になってくるもののひとつが注意力なんだろうと思います。
自分から注意して言ったり行動したりする。大人でも例えば車の運転のときは、歩行者や自転車に注意しながら、右折のときは対向車に注意しながら、無数の注意をしながら運転しています。
歩行者や自転車の人が注意してくれるだろう、対向車の人が注意してくれるだろう、というのはその人たちに依存しながら運転しているともちろん危ない。
助手席に自分の代わりに注意してくれる人がいて、運転席に向かっていちいち先回りして声をかけてくれればいいけどそれはない。なので「注意する」、というのは自分以外の人が注意することはあり得ない、何かに注意している時点で既に主体性の発揮なんだとも言えます。
車の運転だけでなく、自身の身の安全とか仕事でも同じですし、学校に行けば先生の話を注意して聞けないとしたら不都合だと思います。自分の行動や言動について注意力が弱い、というのは所属のためにも不都合だと思うのです。
この自分で注意する、というのは、大人が子どもに「注意しなさい!」とやかましく言っただけでは身につくことはなく、活動や対人接触の体験の中で少しの失敗とか葛藤を積み重ねて、こういう時にこういうことに注意する、と大人から伝えられたりして身につく性質のもので、教えようと思ってもなかなか教えられない目に見えないものです。
コーナーには子どもたちが自分で主体的に活動できるような遊具や教材が置いており、大人がコーナーの配置によって意図的に子どもたちを活動に誘っているのです。
理由のふたつめは、ここは何をする場所、と子どもたちにとって、わかりやすい、見通しのつきやすい環境にするためです。
このスペースではこれとこれはしていい、このスペースではこれとこれはダメ、といったお部屋の使い方はしません。ひとつのスペースにメッセージを二つ以上こめない、という意味があります。このスペースではこれをします、このスペースではこれをします、というメッセージを子どもたちに伝えます。だから小さな子の場合はたんぽぽぐみさんのようにゴロンとなるスペースも。
テレビの他には何もないお部屋は?テレビや大人そのものがマトになるというものですが、これはそもそも主体性の発揮の余地がないと見ます。よくない方向に行けばテレビや大人に依存するクラスになってしまう可能性もあると思います。
理由のみっつめは家庭的な温かい雰囲気を環境として出したい、ということです。
コーナーにしつらえているものは、遊具や備品も木の温かみのある素材・色でまとめられていると思います。
子どもによっては家庭を離れて一日10時間以上園で過ごす子もおります。これは必要なことだと思います。
コーナーはお部屋の中のそれぞれの遊び・活動のエリアですが、大人から見て全体が見えなくならないようなタナを置いてコーナーごとの仕切りにしています。
たんぽぽぐみから年長のひまわりぐみまでお部屋の中は各コーナーを子どもたちへの動線などを考えて配置しています。
なぜコーナーを配置しているのかというと、理由は3つあります。
ひとつは、子どもたちを遊びや活動へ誘うため、です。ここでいう遊びや活動は子どもたちが主体的に行う活動です。主体性を発揮しやすくなるようにコーナーを設置しています。
主体性の発揮というのは、子どもがやりたい放題やって大人は放置している、ということではなく、恐れを知らずに何があってもただ自分のしたいことをがむしゃらに進めるタフガイになる、ということでもなく、イメージとしては子どもから自分から注意して動く、ということを期待しています。
自己肯定感=所属のために大切になってくるもののひとつが注意力なんだろうと思います。
自分から注意して言ったり行動したりする。大人でも例えば車の運転のときは、歩行者や自転車に注意しながら、右折のときは対向車に注意しながら、無数の注意をしながら運転しています。
歩行者や自転車の人が注意してくれるだろう、対向車の人が注意してくれるだろう、というのはその人たちに依存しながら運転しているともちろん危ない。
助手席に自分の代わりに注意してくれる人がいて、運転席に向かっていちいち先回りして声をかけてくれればいいけどそれはない。なので「注意する」、というのは自分以外の人が注意することはあり得ない、何かに注意している時点で既に主体性の発揮なんだとも言えます。
車の運転だけでなく、自身の身の安全とか仕事でも同じですし、学校に行けば先生の話を注意して聞けないとしたら不都合だと思います。自分の行動や言動について注意力が弱い、というのは所属のためにも不都合だと思うのです。
この自分で注意する、というのは、大人が子どもに「注意しなさい!」とやかましく言っただけでは身につくことはなく、活動や対人接触の体験の中で少しの失敗とか葛藤を積み重ねて、こういう時にこういうことに注意する、と大人から伝えられたりして身につく性質のもので、教えようと思ってもなかなか教えられない目に見えないものです。
コーナーには子どもたちが自分で主体的に活動できるような遊具や教材が置いており、大人がコーナーの配置によって意図的に子どもたちを活動に誘っているのです。
理由のふたつめは、ここは何をする場所、と子どもたちにとって、わかりやすい、見通しのつきやすい環境にするためです。
このスペースではこれとこれはしていい、このスペースではこれとこれはダメ、といったお部屋の使い方はしません。ひとつのスペースにメッセージを二つ以上こめない、という意味があります。このスペースではこれをします、このスペースではこれをします、というメッセージを子どもたちに伝えます。だから小さな子の場合はたんぽぽぐみさんのようにゴロンとなるスペースも。
テレビの他には何もないお部屋は?テレビや大人そのものがマトになるというものですが、これはそもそも主体性の発揮の余地がないと見ます。よくない方向に行けばテレビや大人に依存するクラスになってしまう可能性もあると思います。
理由のみっつめは家庭的な温かい雰囲気を環境として出したい、ということです。
コーナーにしつらえているものは、遊具や備品も木の温かみのある素材・色でまとめられていると思います。
子どもによっては家庭を離れて一日10時間以上園で過ごす子もおります。これは必要なことだと思います。