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いわさきちひろさんの絵5

  • 2021/05/18
年長さんの積み木活動です。岩崎保育園に置いている写真の積み木はドイツの幼稚園積み木です。日本ははっきりとした四季があるので、木に年輪がはっきり入って、積み木のピースにすると季節によって微妙にたわんだりしやすいのですが、ドイツの木は冬が長いからでしょうか、ピースにしても1:2:4の規尺は変わらず、変わらないために遊びは無限に広がります。
積み木活動の意味はこれからも触れていきます。

ビクトール・フランクルさんというお医者さんは、皆さんもご存知の第二次大戦で子どもからお年寄りまでの悲劇が起こったアウシュビッツ強制収容所から奇跡的に生き残って帰ってきたうちの一人でした。

そのフランクル先生が不思議なことを言っています。
「地獄のようなアウシュビッツ収容所から生き残ってきた人には共通点がある。それは体が強健な人でも、争いごとに強い人でもなかった。みんなで外の夜の暗い中、何もない収容所で下を向いているとき、たまたま水たまりに夜空の月が映った。その月を見て今日も月が映っているな、きれいだな、と思える人が生き残った。」

そんなの運に決まっているじゃないか、とも言われそうですが、フランクル先生は本業は精神科医です。単に主観的な感想を言っているわけではありません。極限状態での人の精神状況を仕事柄観察していました。

不思議な話のように思えますが、収容所で生き残った人というのは、絶望しにくい人、ととらえると理解できそうです。

それから収容所で見た月は単に月というよりも、月に重ね合わせて自分が肉親と月を見た思い出とか、そういう支えとなりそうな人とのつながりを持っているか、実際につながっているかどうかは別にして、一人であっても、人と過ごした記憶とかそういうものを持っているか、たくさんあるかどうか、が生き残る人かそうでないの境目だった、と考えれば理解できそうです。

ビクトールフランクルをウイキペディアで検索してその提唱していることを見ても難解すぎて私にはわかりませんが、月を見ただけで、自分を覆う犠牲者としての物語が少し違う色調に思える意味づけができるかどうかが、極限状態を生きることを左右する、とうようなことを言っています。

こういう家族でも友達でも人とのつながりを「所属」と呼びますが、実際に所属しているかどうかは別に、所属感、自分は他の人とつながりがある感じ、一人ではない感じ、誰かが見てくれている感じ、悪い人もいるけど良い人もいる感じ、イロイロ表現できますが、これが自尊感情、自己肯定感の正体です。

ですから自尊感情がある状態というのは、人より何かが優れている感情ではないし、争いごとを起こして勝利を目指すような感情でもないし、何をしてもちやほやと甘やかされている感情でもない。

きれいなもの、自然のもの、意図された絵本の絵などを子どもたちに環境として提供しようとしていることは、子どもたちは芸術家にしようというネライではありません。(結果としてその方面に開かれればそれはそれで嬉しいのですが。)

子どもたちには自己肯定感が高まる働きかけをしたい、ということなのですが、以上のことを踏まえると、具体的にはどのように子どもたちに働きかければよいのでしょうか。

続きはまた次回に。



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