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バイキング!

  • 2021/08/13
年長のひまわりぐみさんは、給食の時間をバイキング方式にしました。

小学校では一般的なカタチですが、お当番さんがお皿などをテーブルに並べていく配膳もそれ自体意味がありますが、自分のトレイに自分でお皿を取り分けていくカタチも子どもたちにまた違う意識を持たせてくれそうです。

自分のことは自分でするのだ、という習慣は、大人になったときにただそれ以上の意味を帯びてくると思うんです。
大人になっても、細かいことでも大きなことでも何か人からしてもらって当たり前、人から与えられて当たり前、といった意識の方に出くわすことがあります。

本人は悪い人ではなく、むしろ逆に神経質に人に気を使う性格であったりするんです。そして、人から何かをしてもらえない、与えられないとなったとき、真剣に悩んだりする、というシーンを見たことがあります。そしてさらに自分を取り巻く人たちが自分に冷たい!と思い込んでしまう、というループになっていく。

そこは、自分である程度やってみてうまくいかなかったら人に聞いたらいいじゃないか、人が何かくれそうになかったら自分からこれが欲しいんですけどと言ったらいいじゃないか、と一般の人だったら思うんです。そんな意識の差は意外と子ども時代に起因しているように思います。

シソの種って見えないくらいの小さい粒で、土に埋めるんじゃなくて土にばらまくようにしていたら育つ、とあったので、本当かな、と思いつつ、土の上にばらまいていたら、何か気づいた時には大きくなってバッチリ根を生やしてました。触るとゆかりおにぎりの匂いもしてきます。

天日干しにした赤シソは何に使うのでしょう?


孤立してしまう人

  • 2021/08/12

先週は園内の子どもたちで夏祭りウイークでした。

さくらぐみのお友達は年長のひまわりぐみのお友達と一緒に夏祭りの時を楽しみます。

ここで集って楽しむことについて、大人でも気の合う友人などと集まってご飯を食べたりおしゃべりしたり、これ以上楽しい時間はあるのかというくらい「楽しい」と思います。

気の合う、というのは必ずしも価値観や属性などが自分と同じ、ということでもないようです。

ここで、一人でいた方が気がラクだ、という人々が多くなり、また、サークル的なものはあるんだけど、とても少数でその中でしか通用しないような閉鎖的な集まりが目立っている、もしかしたらそちらの方が多いかも、と言われるようになりました。

それはどうしてなのかですが、いくつも理由がありますが、ひとつは対人関係を勝った負けた、支配する人と支配される人、みたいな両極で考えてしまう人が増えた、また、本当は自分に自信がなく知らない人を相手にすると外敵が来たように思ってしまう人が多くなった、とかイロイロ挙げられます。

社会的な環境とか、景気のこととか、背景には根深いものがあるかもしれませんが、どちらにしろ、対人関係を避けていたのでは、外敵に遭遇することもない代わりに、いい人と巡り会うこともありません。

コンプレックスの強い人ほど他者を支配したがる、コンプレックスの強い人ほど他者を見下す、というような特徴がありますが、そもそもどうしてそんな強いコンプレックスが出来るのかといえば、自分で考えたり自分から動いて経験や失敗を得たり、逆にうまくいったりする体験が少ない、ということから来るのは明らかだと思います。
(例えば、自分でできる年齢になっても何でも大人が先回りして子どものすることは代わりにやってあげるのは、「あなたにはできない」という暗示を繰り返し与えることになっているかもしれません。)

大人の世界で、自分で慎重に考えて、自分で注意しながらも、相手のメリットや立場をリスペクトできる人は、なぜかその人がそう望んでいなくてもどんどん人の輪が広がり、黙っていてもいろんな話が入ってきて、いい意味での忙しさが出てくるように見ていて思います。

大人になって急にそんな変身をするのは難しいと思います。できればいい人が集まってくるように、対人関係を保ってそれを広げるには、子どもの時から異年齢で、夏祭りもそうですし、マネをしてされて、の時間を持つ、ということも方法のひとつだなと思いました。

限りなく白に近いブルー

  • 2021/08/11
ももぐみのお友達は色水を使って遊んでいます。

だいたい、お部屋の活動で、つなげる、切る、組み合わせる、積み立てる、といった操作はいつもしてますが、混ぜ合わせるという活動はあんまりないんですよね。

色水を混ぜてまた違う色に、おひさまの光もあたって余計にキラキラしていますね。

こうしたものの色はいろんな段階・バリエーションがあるんだよ、ということは、乳幼児期に目に入らないと、大人になって気づいても自分の思い描く景色はなかなか変わらないと思います。

色というのはそれ自体、赤なら赤の、青なら青ならではの、人に対する心理的影響があるみたいです。色に敏感な発達をする子どもは赤じゃないとイヤだ、青じゃないとイヤだ、的な反応をすることもあります。なぜなんでしょうね。

このあたりはよくわかっていないことも多いのですが、例えば絵の具で色であってもさまざまな色がスペクトラムとして存在してて、例えば黄色に近い緑、青に近い緑、というのもあるかもしれないし、要はここは赤じゃなくてはダメなんだよとか、ここは青じゃないかとか、あんまり指導して教えるような性質のものではないように思います。

ここの建物を設計した設計士さんは、レストランなんかに入っても、座った席の周囲にあるモノの色が気になるそうで、耐えられない場合は席を外すことまでするそうです。

仕事柄、色にかなり敏感になっているんでしょうけど、僕たちはここまでいく必要はないですが、水とか砂とか、周囲の草花の色をそれをとして感じることができるようにまでは育ってほしいなあと思います。

これらは知識というか感覚的なものと思いますが。話はそれますが、昔のすごいいい歌で、限りなく白に近い青い影(英語)、というタイトルのものがありますが、アーティストの世界になるとこれもまた想像を超えたものがあるようです。今の時期涼しい響きのある色は限りなく白に近い青、くらいでしょうか。

1歳クラスの成長の一端

  • 2021/08/10

ちゅうりっぷぐみのお友達は積み木遊びです。

赤ちゃんのときから、つまむ、ひっぱる、開ける、閉める、入れる、出す、という遊びを繰り返して、ちゅうりっぷぐみの1歳児くらいのお友達になると、積む、つなげる、並べる、転がす、だんだん構成的になってきます。

この時期のお友達は展開がわからないこと、想像できないこと、などを自分でやってみて実際の展開を面白く感じています。こんなシーンが、道具を扱う人間しか見られない遊び行動で、人間しかない大脳の部分がグルングルン回転しているんです。

人間ではない動物の多くは、何か僕にくれないかな、僕とじゃれ合って欲しいな、大きくなるとどこに行ってどこから食べ物を取ってこようか、と動き回り、身の危険があれば筋肉を緊張させて逃げるか戦うかのモードになり、こうして毎日を過ごしていきます。

人間の場合は赤ちゃんのときから、行動面で多くの動物と違うことをするので、この部分を大切に継続していけるように、環境を作って子どもたちと関わることになりますが、そう難しくはないと思います。一緒にやってみて面白そうにコミュニケーションすることで、子どもたちの脳はどんどん成長していきそうです。

言われたことを反射的に一定のポーズでマネするだけだったら、おサルさんの芸でも見られることですが、自分からこうしてみよう、今度はこっちに並べてみよう、という実験的な行動は人間の子どもだけなんです。

そういった遊びを何か大したことのないように思ってカットしたりすると、子どもたちにとっては面白くないし、また大人にとっても貴重な機会損失だと思うんです。

先日、立秋でしたが、もう少し気温が朝夕の気温が下がってませんか?気のせいかな。

夏祭りウイーク立秋編

  • 2021/08/07

園内の夏祭りウイーク、すみれぐみさんのお友達です。

今日が立秋。今日から秋です、ということですが、一番暑い盛りですよね。暦のうえでは、一番暑い盛りの秋の気配が現れる、また一番寒い盛りに春の気配が現れる、となっています。

本当かなー、と思いますが、私の実感ではお盆過ぎあたりから本当に朝夕ちょっとだけ涼しい風を感じることがあります。

こういうことを繰り返し感じていると、一番しんどいなーという時期に良い兆しが見えるようなことがふわっと起こったり、逆に今いい感じだなーと思っていると、ちょっとした違和感を何かに感じることがあります。昔からこういうことはたくさん同じ言い伝えがあって、昔の人は良く見てるなーといつも思います。

大人が季節のリズムを感じるように意識していると、子どもたちも自然とそれを吸収して楽しんでくれます、成長するにつれて、ちょっとした季節の変化をスルーせずに気づくことができる時期が来ると思います、するといろんな時期、場所の季節のカラーを目にするたびに目や耳が肥えてきて、あ、トンボ!、あ、テントウムシ!、など、このあたりから良い意味でのセンスが磨かれていくのだそうです。

ちょっと最近は暑すぎですけどね。この中、走り回っている宅配便とか郵便とか信用金庫の方なども汗まみれで来てくれます、お疲れ様です。

夏祭りウイーク

  • 2021/08/06
今週は園内で夏祭りウイークです。夏祭りそのものは感染症で出来ませんが、園内でお祭りの思い出作りです。

夏、というと、海水浴、川遊び、カブトムシやクワガタ採り、盆踊り、提灯、金魚、出店のお菓子、浴衣、そういうのがポンポン思い出されますが、今はモールに行けばいつでもお祭り気分、みたいな感じですね、そんな中、この夏祭りウイークに限らず思い出作りは誰とどんな特別な日を過ごしたか、ということを大切に考えようと思います。

外国語の習得のときに必要なことのひとつに、自分が発言してある程度説明できることは、誰かが同じことを話しても必ず理解できる、というものがあります。

外国語でなくても同じで、誰かが何か言ったとき、ああそうだな、と思えるということは、自分が今まで考えたこともなかったようなことでも、実は同じ体験を共有していたり、言葉になっていない同じ感情を共有していたりする、ということで、これは皆さん日常的に経験することと思います。

園内で、クラスで、同じ体験や取り組みを共有するということは、一人で取り組むよりも、言葉の成長という意味では格段にアドバンテージがありそうです。

言葉の発達はこれだけで決まるものではないですが、幼児の間に脳の中の言語の部分がどんどん成長したいくためには、楽しい具体的な共同体験が必要ですが、ショッピングモールに行っただけではこうした共同体験は得られない、なので園内でのこうした活動には意味があると思うんです。






氷の中の花

  • 2021/08/05

たんぽぽぐみのお友達は氷に触って透明でもあるし不思議でしょうね。なるほど氷の中にお花を入れてきれいですね。

今日は、突然ですが、みんな悩みがちな、私はネガティブなんです、ということについて。

これは働いている方のほとんんどがそうかもしれないというくらい、自分はネガティブだということで悩みを抱えてますね。

日本人はもともと遺伝子的に不安を感じやすいのだとも言われてます。

これについて、自分の思考がネガティブかポジティブか、自体はいいも悪いもないように思います。

私はネガティブなことを考えてしまう、ということは、起こるかもしれない事態をその人なりに想定して手を打てる周囲から見れば安心できる人と映るかもしれないですし、物事を慎重に段取りよく進めるという長所にもつながってくると思います。

ネガティブに考える人が自分はネガティブでキツイなあ、と思っていても、けっこう周囲の人はそんなふうに思ってなかったりすることが本当に多いと思います。

問題となってくるのは、少しそこから別の方面にあるように思えます。

明るく前向きで、ポジティブで楽観的な人であっても自分のメリットしか考えず毎日を過ごしているタイプと、何かとネガティブで心配性だけど自分と周囲のメリット・デメリットをアレコレ考えているタイプ、どちらの方が暮らし向きがよくなるか、という面だと思えます。

だからこれも個性ですよね、その人の持ち味、個性、その人ならではの魅力、そういうことが生かされるかどうかは、自分だけのメリットになるのか、自分とまた周囲のためのメリットになるのか、の考え方の違いじゃないかなーと思いました。

主食のご飯のこと

  • 2021/08/04
昨日の昼食は麦ごはん・鶏肉の唐揚げ・中華きゅうり・みそ汁。おやつはプリンパフェでした。おやつがちょっとおしゃれっぽくなっているのは、今週は園内での夏祭りウイークのなってるので、いつもとは違う涼しげなものを。

私たちは何の疑問もなく献立を主食・副食・副菜などとモデル化してそこにあてはまるように考えるのですが、外国だと日本人のご飯みたいな主食の位置づけになるものがないのです。

それっぽいものはありますよね、パンとかジャガイモとか。ただ日本人がイメージしているような主食とおかず、という枠ではとらえていないようです。

例えば餃子をおかずにしてご飯を食べる、というのも日本人からしてオカシクはないと思いますが、栄養の方から見ればダブル炭水化物ですよね。

要はご飯を主食としてそこにおかずをつける枠が習慣として数千年続いていることになります。

日本人だけが海藻を消化できる腸内細菌を持っていたり、欧米人と日本人の胃酸の量が違ったり、日本人は日本人の体質に合うように自分たちの食べる料理を最適化した、ということにもなると思います。

ところで、料理って、料理をすること自体、一種のコミュニケーションと思いませんか?

一人なら、そんなにメニューや彩りや味付けも工夫しないようなところでも、人と会食するときには誰かが腕をふるって料理しますよね、お店でもお店の人がおいしそうに料理してくれたものを食べながら目の前の食べ物とおしゃべりの話題の間を行ったり来たりしながら楽しい時間を過ごすしていますよね。

だけど一人でグルメする人もいるな・・・

年長の子どもたちは、今日から自分で料理をとって給食を食べるバイキング形式で食事をします。


勇気づけ

  • 2021/08/03
当園の最近のおやつの写真です。おにぎりの回数が多くなっています。

添加物とかポストハーベストとか、そんな情報があふれかえっていますが、これら云々のことを考えると、最も不要な混ざりものが少なくなるのはご飯を主食にした和食中心のメニューになります。

昨日の、みんな内面的にどこかで自分より他の誰かが大事にされる不安などを持っている、ということですが、これは幼少期の兄弟の関係とか、そうした環境から出たもので、それ自体誰もが同じような体験を持っていると言えます。

自分の中のそうした不安や恐れなどの感情は、自分がちょっとしたピンチに陥ったときとか、案外何もすることがないヒマなときとか、にこそ強い原始的な力で私たちの脳内を駆け巡ったりします。

これは世界中の人がそうなのであって、こうしたネガティブな衝動的な感情を予防するための知恵もすでに多くのお医者さんが提唱していることなんです。

それはいくつもありますが、ひとつは何であっても自分なりにルーティン、習慣をつけておくことがあります。歯磨きしているときってそれ自体楽しいことでもなくイヤなことでもないですが、しなかったらしなかったで気持ち悪い、こういうのを習慣としますが、一日の生活を自分なりにルーティンを決めておく、ことがあります。特に乳児保育の分野はこれが大切にされます。

またひとつは、日中は適度に忙しく仕事をしたり運動したり、趣味でも何でもいいのですが、何かをすること、活動すること、何かに注意を向けて何かをしていること、があります。
忙しすぎたり体力オーバーなことは害になりますが、適度に心身が働くことは不安や恐れを予防することにもつながってきます。幼児の活動などは不安を予防するというネライではありませんが、効果としては同じでしょう。

またもうひとつは、自分が他の人からどう思われているかよりも、自分が何をしようか、自分が何ができるか、に意識を向けることを習慣にする、ことがあります。

これも意識しなくても自然とそうなっている人もいるし、ガッチガチに自分の評価を恐れてビクビクドキドキしている人も現実的には多いみたい。

子どもたちに対しても他の子と比べたりすることなく、子どもたちを出来不出来で評価することなく、勇気づけて励まし続ける、という保育の方向です。




言葉が達者になるとき

  • 2021/08/02
すみれぐみのお友達も水遊びですね、大きいシャボン玉作るのはなかなか難しそうですけど、楽しそうです。

3歳あたりから言葉が達者になってくるということですが、こうした活動の中でお友達とおしゃべりする中でどんどん達者になってくる、とここまではストレートに発達した場合。

どの子も、これは大人でもそうですが、潜在的に心の奥で自分よりも他の誰かが大切に扱われるのではないか、という不安というか恐れというか、そういうものが誰でもが持っているんですね。

どうしてそうなのかはまた長くなるのでここでは話しませんが、子どもの場合だとそれがモロに表面に出てしまう場合も普通にありますよね。

言葉というものは、そういう自分の内面の不安とか恐れとか、そういうネガティブなものに意識がフォーカスされてばかりいると、なかなか出てこない。言葉は他の人に伝えるものだからですね。

不安とか恐れとかネガティブな気持ちを子どもが持っているときに、大人は普通は大丈夫だよと伝えて安心してもらおうとするのですが、これが典型的なコミュニケーションのはじまり、みたいなもので、どうしてダイジョウブなのか説明したり、実際に大丈夫そうなシーンを見せたり、どんどん展開が進みます。活動のはじまりみたいなものなんでしょう。

そうやって自分の外で大人やお友達が具体的に動いている、自分も楽しそう、面白そうだからやってみると、そこから自分よりも他の人の方が大切に扱われているのではないか、という思い込みを徐々に薄く薄くしていくのだと思います。

だけど、これは大人にとってもテーマかもしれませんね。





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