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2021年08月の記事は以下のとおりです。

カラフル感覚

  • 2021/08/25
ひまわりぐみさんのお友達の様子。西遊記の金閣大魔王のお城を積み木やマンダラ塗り絵などでイメージして積んでみました。

観葉植物を万華鏡で見ていますね、これは日本の万華鏡をドイツで改良して作られたもので、くるくる回すとレンズの中のオイルの動きできれいなマンダラ映像が浮かぶようになっています。

女の子2人は毛糸かな?これは何をしているんだろう?

遊びというと、何か大したことのないように感じてしまう響きがあるかもしれませんが、もしそうならこれらの活動は手仕事と呼んでもいいし、感覚統合活動、と呼んでもいいでしょう。

園では写真で見られるようなこれらの活動が、何に接続されていくのか見通しを持って活動しています。

ここで、活動の成果というのは、特に日本人の場合は、何か苦労をしてその果てに手に入れるもの、何か辛抱に辛抱を重ねてその果てに手に入れるもの、何か理不尽なことに耐えに耐えてその果てに手に入れるもの、という独特の無意識的な先入観?みたいなものがあるな、と感じるときがあります。

子育て、というのも、そういうフィルターで見られているな、と感じることが正直あります。


私たち大人は、もちろん状況が変化する中で、ある種の苦闘を重ねていかなければならないシーンももちろんあるのですが、とりわけ、就学前の子どもたちは安全に楽しく園で遊び過ごして、帰宅する、という生活の場であるべきだということは保育教育要領などにも明記されています。

努力とか根性とかでは解決できない生まれつきの差というのも人間にはありますし、どんな差でも個性としてアドバンテージにならないかと考えていくこととか、同じく努力や根性では生まれてこない発想やものの考え方というのもあります。

ちょっと今日は微妙な言い回しをしてる感じですが、また別の表現でお話ししたいと思います。




アングーラ

  • 2021/08/24
写真のアングーラ積み木はネフ社の積み木ですが、これはむしろ算数や数学そのものの世界を目に見える形にしたものです。

小学校の指導要領などに算数の基礎となる力について、数・量・カタチの感覚を養う、ことが書かれていますね。

これは紙の上で鉛筆で書いて教え込もうとしても、なかなか子どもたちには伝わらないことがあります。数・量・形の感覚・センスというのは目に見えないからですね。

一見して目に見えないものだから、後はその子の感覚やセンスに頼るしかなくなる、ここでたくさんの子が算数が何となくピンとこない、わからない、面白くない、つまらないとなり、ひどい場合には自分にはできない、自分は頭が悪いとまで思い込んでしまうことが多い。

こういうのは頭がいい、悪いではなくて、数やカタチ、量といったものを実際に具体的に目で見て手で触って具体的な体験として経験しているか、ということに尽きると思います。

アングーラは数・カタチ・大きさの大小・順番・数列などの算数の世界をそのまんま目に見える形にしたものです。

これを開発したピーター・クラーセン(だったと思います確か)はネフ社の他の積み木も開発していますが、僕たちは既製品としてこれらの積み木を見るので、こんなものがあるのか、とだけ思いがちですが、クラーセンさんはそういうものが閃く一種の天才だと思います。

子どもたちを実際に保育したり、療育の現場にいる方はある程度実感されているのではないかと思いますが、例えばお友達や大人の情緒的なもの、情緒的なやり取りや動きを読み取るのが苦手な子どもは、しばしばこういった順番やカタチがはっきりした秩序そのものを作り出す遊びに没頭します。

この子ってどうしてこうなの?、どうしてこの子はお友達や私の気持ちがわからないんだろう?と思われてしまう子の方がこうした活動にコミットするというのは何か見えてきませんか?

相手がどんな気持ちが想像してごらん、と回答を求められるのが苦手な子もいます、だから自分で主張したいことは相手に表明する、そしてコミュニケーションする、ことの手助けの方をした方がよい子どももいます。逆に、相手の気持ちを細かく察することができて、周りが気になって活動に集中できない子もいます。

どちらがいい子でどちらが悪い子、ではないと思います。どちらもその子の貴重な個性だと思います。大人になってどちらの個性も人の役に立つようになると私は思っています。


紙飛行機

  • 2021/08/23
さくらぐみのお友達は雨の音が好き。雨の音、雨の勢い、たまっていく水の流れや動き、海みたいになっていく園庭にサメが泳ぎよるかもしれんね、と想像も膨らんできます。

晴れた日の飛行機雲をエルマーの絵本の色のない虹と見えました。

ここで、不思議な話ですが、いろんな絵本を見てみると、内容に違いはもちろんありますが、水、風、火、土のどれか、または何個かからんでいます。川や海、雨や雲は水、お日様や光は火、植物なんかどれも組み合わさって成り立っているし、そう言われればそう見える。

昔の人は身の回りで起きることをこういうエレメントに分けて考えたり予想したりしていました。子どもたちはエレメントをモロに感じられるものにジーっと引き付けられイロイロ想像し考えて楽しみます。

昔の日本人はもっとエレメントを細かく分けていて、水、火、土、金、木の5つから身の回りのものが出来ていると考えていました。

水は木を育てて、木は燃えて火を生んで、火は灰(土)を生んで、土は中で石や金を生んで、金は溶けて水になる、とサイクルで見ていました。

水は土によって吸い込まれて消えて、土は木によって栄養分を吸い取られて、木は金で出来たノコギリで切り倒されて、金は火に溶かされて消えて、火は水によって消される、とこれもサイクルで見ていました。

昔の人は、というか、実は子どもたちも感覚としてこういう見え方をしている部分があると思います。そこからさまざまに思考を展開していきます。考える力のオオモトになります。

あのね、この水はH20という分子で出来ていてね、とこの年齢の子どもたちにお勉強させようとしてもまず理解が及ばないのです。

雨ひとつを見るにしても、子どもたちの景色は大人とは違う見え方をしていると思います。

雨からお船を浮かべたい

  • 2021/08/21

すみれぐみのお友達は大雨の中、園庭にたまった水を見て、お家に帰るために船を作ろうと言いました。みんなが乗れるくらいの大きさの船で、お家と同じようにテレビをつけよう、という話になり、積み木で船づくりが始まったようです。

さ、ここで3歳児クラスのお友達の問題解決力がひとつ発揮されたようです。

雨といえば水、先日たんぽぽぐみで水が氷になって子どもたちが触っていました。風はこいのぼりや風鈴で感じることができました。夏には土からトマトやナスやオクラが出てきました。年長さんや年中さんはクッキング体験をして注意しながら火をコントロールしてピザを作りました。暑い日が立秋を迎えたとたんにたくさんの水が降ってきました。

水、風、土、火、こういったものをエレメントと呼んで昔からこれらを感じるためにステンドグラスが出来たり万華鏡が出来たり旗が立てられたりしました。これらのエレメントを観察して感じてコントロールして自分たちの生活や楽しみが進歩してきたのです。

火曜日、水曜日、土曜日、日曜日という暦の数え方とか、何かものを観察したり、感じたり、組み立てたり、楽しんだりするときにこれらのエレメントを意識すると、面白いです。

なので、チューリップが咲いていたら絵を描いて壁に貼って終わり、という展開ではなく、土に球根を植えて水をやってお天気の日には芽が出て大きくなるところを楽しんで、花が咲いたら一部は摘み取ってお部屋に飾ろう、と考えるようになったりします。

これらのエレメントからヒントとしてスタートして考えると、保育の活動は難しくないと思います。

雨で海みたいになっているぞ、船を浮かべよう!というのもそれだと思います。

水や風や土やおひさまやそれから成り立つ動植物を感じないで活動をするというのは逆にすごく難しいように思います。例えば、ラジカセをかけてみんなで音楽に合わせて踊る、というのはどうでしょうか。それ自体にどのエレメントもからんでないので、ワンパターンになりがちになると思います。

これを感じ取ることができれば、ほとんど活動の意味はとらえられていると思うんです。

このすみれぐみのお友達もそうですし。






フランス革命から遊具へ

  • 2021/08/20

たんぽぽぐみの遊具を紹介してくれています。

遊びというと、いろんな意味があって、じゃれ合う、かみつく(これは違うか)、(紙を)破る、壊す、引っ張る、曲げる、並べる、積む、など何でもアリみたいな感じがするかもしれませんが、園内でいう遊びとは、かみつくとか壊す破く、というようなことは遊びの中に含めません。

じゃれ合う、というのはスキンシップなどと捉えています。

では遊びというのは、少し難しくなりますが、お外遊びのことは別にして、並べる、積むなどといった建設的なこと、脳の前頭葉の部分を使った活動のことを指します。

1789年というと今から230年前にフランス革命が起こって、今の私たちの生活の隅々まで影響を与えています。それは、人間は他人からの抑圧や支配を拒否すべきこと、これは当たり前ですよね、誰かの奴隷として生きることは誰も気持ちよくないからです。

そのためには、自分のことは自分で考えて、自分のことは自分で決めて、自分で決めたことは自分で責任を取ること、という原則で社会の制度や仕組みが作られています。

フランス革命からペスタロッチやフレーベルといった幼児教育の創始者が出てきて、子どもたちは奴隷ではなく、大人の付属品でもなく、それ自体に人権があるものとして幼稚園などを作りました。

ここで子どもたちが自分で考えて自分で決めて自分から動く、という方向へ教育が転換されました。

ドイツといった国はこの時代からどうやったら子どもたちが自分からアレコレ考え工夫して遊べるだろうかと遊具の開発を、200年以上にわたって積み重ねてきました。

今、写真で紹介されている遊具はほとんどがドイツとか北欧のものになっています。


ここでもペリー就学前プロジェクト

  • 2021/08/19
ちゅうりっぷぐみのお友達は楽しそうです。ちゅうりっぷ1歳児くらいでは遊びは一人遊びかなと思いますが、もう2人以上でコミュニケーションして遊んでいるようです。

自然と、一緒に楽しくアレコレやってみる、という姿で、本来の姿だろうなと思うんです。

いま、Youtubeのインフルエンサーが生活保護を受給している人に対して差別的発言をしたとして問題になってますが、ちょっとあれは詳しくは知らないのですが、生活保護を受けている人たちの命について軽視したような発言があったとのことでした。

もし私は生活保護を受けていない優れた人間で、あなたは生活保護を受けている劣った人間だ、みたいなことをこのインフルエンサーが言ったのだとするのなら、私はこう考えます。

どんな立場にある人も、男性でも女性でも、うまくいっている人でもいっていない人でも、恵まれた人でもそうでない人も、みんないつ病気になったり、事故に遭ったり、社会情勢が変わって経済的に立ちいかなくなってしまったり、みんな自分の力ではどんなに頑張ってもどうしようもないことで生活に困窮してしまうリスクはあります。

いま例えば経済的に成功して勢いがあるような人でも同じ。生活保護を受けている人やホームレスの人はいろんなそれぞれの人生があって、事情があるんです、私は前職でそういう人たちと関わる仕事をしていた時期がありますが、話し込んでいると、自分もこうなるかもしれない、そこの辺あたりを歩いている若い人もお年寄りも不運が重なるとこうなるかもしれない、そうしてみると、お互いまあ前を向いて生きましょうや、という気持ちになります。

みんななり得ることに対して、たまたまそういう困窮した人に対して劣っている、生きていなくてもいい存在だ、という考えを持つというのは、どこから来るんでしょうかね。

ちょっとよくわかりませんが、自分は絶対経済的に困窮しないし、自分一人で稼いでいく実力と自信があるし、と思っているのだとしたら、そういう情操って危ないんじゃないかと思います。

ペリー就学前プロジェクトは就学前の子どもはIQ(知能)よりもEQ(情緒的な働き)の方を大切にした教育をすべきだと実際のデータから結論づけました。


つながっているかも

  • 2021/08/18

写真はここ1週間の給食メニュー。ご飯と味噌汁がついています。

今がちょうど秋雨の季節ですが、雨が多くて水や湿気の多い日本では、水田でお米がたくさん獲れて、味噌、納豆、漬物といった発酵食品が発達してきました。

海に囲まれて魚や海藻が豊かで、日本人の腸内細菌のみ海藻を分解する腸内細菌が住んでいるそうです。

味噌汁や納豆はお腹の中の善玉菌を増やして全身を健康に保つように働いてくれますし、魚のDHAやEPAは血液をサラサラにしていろんな生活習慣病を予防してくれます。

先日、立秋になったとたんに気温が下がり秋雨が降り始めましたが、食べ物もこんなふうに周囲の土地とか山とか海とか、僕たちはなかなか空気みたいで気づかないけど、実は周囲の季節や土地の自然とアチコチでつながっているんだよということを様々な体験を通じて子どもたちに伝わるといいなと思います。

逆に、身の回りの人とか自然とか、そういうものとつながっていない、バラバラで、それぞれがお互いに関係ない、という前提で思い込んでいるからこそ、どちらが上でどちらが下かというようなマウンティングが起こったり、偏見や差別が起こったり、孤独で寂しい思いをしたり、というようなことがあるんだろうと思います。

自分は身の回りの田んぼの水やそれを運んでくれる山や、腸の中の何十億という細菌や、海や山の動植物を食べてそんなものこんなものトータルで出来上がっているんですよ、ということがわかれば、または知れば、意識や気持ちがまた変わってくると思うんです。

たくさんのつながりがあってもそれが感じられず苦しむ人もいるし、つながりはあまりないんだけど少しの思い出や大切な人を身近に感じて前を向ける人もいるし、子どもたちにはそういうことを感じられるセンスが育って欲しいなと、最近特に思います。


西遊記

  • 2021/08/17
年長のひまわりぐみのお友達は西遊記の物語を見て金閣大魔王のお城を作っていますね。

僕たちが一日過ごす間に知らず知らずのうちに2000を超える大きな判断小さな判断を繰り返しているそうです。

はっきり意識してなければ、ネガティブな気持ちの方に持って行かれて判断自体がネガティブになりがちな傾向があるそうです。

「~が不安だ」「自分はどう思われているだろうか」「私は嫌われているのではないかしら」などなど。

そうなるともちろん健康にもよくないし、実際によくない方向に状況が転がっていくでしょう。

それを防ぐには自分で時間の過ごし方を決められること、自分で課題や問題点を発見できること、発見したらとりあえず自分から解決に向けて動いてみること、そしてちょっとでもうまくいく点があれば、後はどんどん勢いづいていく。もちろん子どもの場合であればなおさらです。

積み木をひとつひとつ積んで取り組むことそのものの間にネガティブになって泣きわめいている時間はありません、自分が向き合っている課題に気持ちが向いているからですね。

人から言われて言われたとおりにしているときは、課題に気持ちが向かっているのではなくて、命令している人に気持ちが向かっているのでこれもまた気持ちがネガティブになりやすいんです。

保育士さんというお仕事がひとつうらやましいなと思うのは、子どもたちと一緒に面白いドリーミーな活動を出来ることだなと思います。

アイデアが子どもたちからも大人から出てもいいと思います。

三蔵法師は危険を冒して中国からインドにありがたいお経を手に入れるために冒険して、その道中の物語が西遊記になりました。

僕たちの時代は堺正章が孫悟空でドラマ何回も放送してましたが、今の子どもたちもよく知っているんですね。

これからどんな展開になるでしょうか。

ささやかな創意工夫をリスペクトしたい

  • 2021/08/16
アブラゼミを見つけたさくらぐみのお友達は何とか捕まえたいのですが、高いところにいて手が届きそうにありません。

さくらぐみのお友達が共有する課題がここでひとつ生まれました。

さくらぐみのお友達は先生の方を見て「あのセミ捕って!」とはならなかったようです。

お友達同士「ジャンプしたらいいんやない?」「タイヤを持ってくれば?」とお話合いを始めました。

先生は「ジャンプしても届かないよ。」「タイヤ持ってきてもダメだよ」と言いません。

そしてお友達は平均台を持ってきました。そして笛が鳴りました。

結果セミが獲れたかどうかはではなく、このようなプロセスを切り取ってお伝えしたいと思うんです。

あるタイプの大人からすれば、仕事をしていると、次々と問題が現れてストレスだらけで不安だ、苦しい、具合が悪くなりそう!などと苦労というよりも拒否反応を示して本当に体調を崩す方もいます。

ああでもない、こうでもない、と自分で考え話し合いに参加できる習慣というか生活態度が身についていれば、こういった社会人としての不適応反応は相当に予防できると思うのです。

小さな子どもが考える内容だから、おおよそ大人からすれば結果が知れていることだらけかもしれません。

安全性に関わることは大人が制止してコントロールしなければなりませんが、それ以外で子どもたちが自分で立とう、自分で歩こう、自分で考えよう、自分で話そうとしているシーンがあれば、それが大人がおんぶして進んだ方が早い場合でもあっても、見守っていきたいと思います。

初期値鋭敏性というノーベル賞をもらった考え方があります。最初はどんなに小さな一歩であっても、最初はどんなに取るに足りない成果であっても、継続しているうちに、加速度的に成長していくのだという何にでもあてはまる考え方があります。

幼児期というのはその初期のころそのものなので、子どもたちから出てくる小さな創意工夫をリスペクトすることが、私たちにとっての第一歩かもしれません。

転換点

  • 2021/08/14

ちゅうりっぷぐみのお友達は色水を注ぐ、混ぜる、いろんな変化を楽しんでいるところです。

子どもたちは色水遊び、絵の具などで、さらにそれぞれの季節や一日の朝夕の中でいろんなモノや自然に触れて、色のバラエティにも触れて、それなりの感じ方を身につけていくのですが、大きくなるにつれてだんだん色のないデジタルな世界にも足を踏み入れていきます。

算数とか、必修になったプログラミングなんかもそうですが、大人になったら経理とか数字を扱う世界は特にそうです。色がない世界を操作していくということですね。

こうした抽象度の高い思考や仕事をしていくためには、幼児の時期に具体性の高いバラエティのある色彩豊かな世界に触れてあるものを蓄積しておく必要がある、と考えられています。

あるもの、とは今、大脳の研究が進んでいますが、いまひとつわかっていないことが多いんですね。しかし確かに言えることは、子ども時代に自然のものによく触れておくことはその後のその人の思考をより深いもにしていく、という実証はあるようです。

今、毎年の大雨で災害も起こり、感染症も広がり、自然とのかかわり方を大転換しなくちゃいけない時に来ています。これに合わせて電気自動車とかクリーンエネルギーとか、経済活動の方向も変わってきています。さらに社会全体が積み立てNISAとかidecoとか普通の人が投資をするようになったり今まで以上に社会人は自己責任の方向へ向かっているようです。

自己責任の方向へというけれど、ではハンデがある人はどうしたらいいのか?など今までの考え方をいったん見直しをしなければならない時でもあります。

保育教育要領というのもここにポイントを合わせています。

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