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2021年06月02日の記事は以下のとおりです。

積み木活動の意味

  • 2021/06/02
シンデレラのお城。出ました、素晴らしいですね。

積み木活動の意味を、四つに分けて述べたいと思います。

積み木活動をする意味のひとつめは、失敗する(崩れてしまう)可能性があるから、です。もちろん失敗は許容したうえでのことです。

普通のブロックだとくっついてくっつけて、失敗の可能性がないです。積み木であれば崩れてしまわないようにお友達同士注意して積み上げていかないといけません。だから積み木活動に参加すれば自動的に当事者として自他に注意しながら積み上げていく必要があります。

仮に途中で崩れてしまったら、もう一度同じものを最初からやり直すか、視点を変えて別のものを展開するか、そこでも子どもたちは考え話し合わないといけません。落ち込んでも気を取り直さないとまたチャレンジできない。子どもたちへの意識的な勇気づけのチャンスも生まれます。

これだけとっても、注意力、コミュニケーション、葛藤解決、集中力、根気などという目に見えない部分の栄養になる活動になります。

積み木活動の意味ふたつめは、これが一番私にとっては積み木活動の意味だと思いますが、小さな決まった形のピースをひとつひとつ積み上げること、で発せられる、いわば積み木そのものから子どもたちが受け取るメッセージです。これは何でしょうか。

積み木ひとつをひとつひとつ積むことそのものは、小さな子もできることですが、この普通のことを積み上げていくことでコトは発展していって、写真にあるようなシンデレラ城などが出来ていく。

これはいろんなことにそのままあてはまることでもあります。
遊びしても仕事にしても、スポーツにしても芸術にしても、工業製品の開発にしても行事にしても、語弊があるかもしれませんが、ほとんど普通の人が普通のことを積み上げた結果でもあります。

私たちは結果の部分を見て、例えばすごいスマホの新機能が出た、すごいスポーツ選手が出た、すごい作品を作る天才が出た、めちゃくちゃ仕事ができる、めちゃくちゃ勉強ができる、ダンスがとても綺麗で感動した、いろんなことに心を動かされ感動し、多かれ少なかれそこにある種の特別感を見出すのですけど、その裏は地道な地味な当人や関係者の目立たない、長い時間をかけての努力や作業の積み重ねが存在している場合はほとんどです。

少なくとも、保育教育関係者はこのことを熟知していると思いますし、私のような立場の者は、写真や動画に出てこないような、表立って見えないような、目立たない関係の人たちの取り組みや工夫、地道な努力といった集積で園の子どもたちの活動が成り立っていることを直視する必要があります。

積み木活動はそのようなこととベクトルが同じメッセージを体感させる活動だと考えています。ただ積み木の活動は子どもたちにとって楽しくイメージを伴う活動なのですが。

積み木活動の意味みっつめは、学習指導要領にあるとおり、小学校に入学して計数・形の感覚、算数の土台になる力ですね、これをストレートに育むこと。

2×4=8、積み木を二つずつ4つ並べれば体感できます。
逆にかけ算を習っても、これを積み木で表現できないのなら、本当にはわかっていないのかもしれない、因数分解などの時につまづく、どうしてつまづいたんだろう?となりませんか。

割り算なら机の上の積み木のかたまりが全部で何個あって3つずつ順番に取り分けていくと、〇〇÷3は?を体感していることになります、答えは3個のカタマリをいくつあるか数えればよい。

ところがこういう体験が不足して、こういう個物の操作が満足にできないのに、算数の世界、数学の世界に入っていくとどうなるか。

積み木活動のよっつめは、積み木があるところには、クラスの様子の一部分、そこにいるクラスのお友達の人間関係が少し垣間見えるように思います。

競合的なお友達関係のクラスなら誰かが積んでも誰かがその積み木を壊してしまうかもしれません。

積んでいる積み木を誰も壊さないのだとしたら、ケンカばかりしている子がいたとしても、クラスの文脈を本当はわかってて、ケンカは大人に対する何かのメッセージであって、その子が特別乱暴な気質を持っていると判断しない方がいいのではないか、などと検討もできることになります。

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